【小説】ねこミミ☆ガンダム 第4話 その1夏休みが終わった。廃校になるところだった英代の中学校は、何事もなかったように2学期がはじまっていた。 英代たちにも変わらない日常がもどっていた。 最近、英代は以前から続けているオンラインゲームだけでなく、少しは女の子らしい趣味を持つようになっていた。ビジュアル系ロックバンド〈KEY’Z〉のおっかけだ。 KEY’Zはビジュアル系バンドでありながら、音楽性でも高い評価を受けていた。つい最近、外国の有名な音楽賞を受賞したことから、国内のみならず海外でも人気に火がついていた。今や、KEY’Zは日本を代表するロックバンドだ。 英代は、メンバーのなかでも、ボーカルとギターを担当し、作詞作曲も手がける〈JUNくん〉の大ファンだった。 夜10時―― 電灯を消した英代の部屋では、ゲーム用の大型モニターだけが未来の光をはなっている。 ゲーム機を立ち上げ、ブラウザを開いた。 左手でゲームのパッドを、右手でキーボードを操るのが、英代のネットサーフィンをする際のスタイルだ。いわゆる〈モンゴリアンスタイル〉である。 まずはKEY’Zの公式サイトを開いた。新しい情報はない。ちょうど今は、音楽賞の受賞を記念する凱旋ライブツアーの真っ最中のようだ。 予算や時間の限られた英代はライブには行けなかった。しかし、アルバムは過去作から揃え、グッズなども買い集めるようになっていた。 次に、有名巨大掲示板サイトのファン用スレッド(掲示板)に移動。顔の知れないファンとの交流をしばし楽しんだ。 次に向かったのが、KEY’Zのアンチスレッドだった。 ここには悪意の塊のような中傷が読みきれないほど書き連ねられている。 KEY’Zの人気が高まるにつれ、アンチの数も多くなっていった。今やアンチスレッドの勢いは、全掲示板のなかで上位にある。 アンチの新しい書き込みをあらかた読んで、英代はつぶやいた。 「クソッ……!」 それら事実無根の中傷に正面から反論してもよかった。が、アンチスレッドでファンが真正面から反論などしようものなら、総叩きを受けることはわかりきっていた。 まともに取り合うだけでは決定的な打撃にならない。そこで英代は、やや回りくどいやりかただが、アンチのふりをしながら、アンチの愚かさを世間に知らしめるというテクニックを用いて反撃していた。 KEY’Zが外国の有名な音楽賞をとったことを、嫉妬から中傷するようなスレッドでは、「カネで買った賞」などという書き込みにまぎれて 24:名無しのアンチさん ID:????? グレミー賞なんていうマイナーな賞を買ってよろこんでいる素人バンド と書き込んだ。 これは、「アンチは、世界一有名な音楽賞であるグレミー賞さえ知らない無知な人物」であることを暗に示している。 さらに、国内の人気が高まっていることについては、これもアンチのふりをして 33:名無しのアンチさん ID:????? あんなカスバンドがいいなんて言うのは女子供だけ 彼女がファンだって言うから別れたはw これは、アンチが、もてないひどい男であることを暗に示している。 48:名無しのアンチさん ID:????? 紅白に出るとかロッカーのくせにチャラいんだよ!!! 年末に向けてのアピールも忘れない。 このようなミスリードを誘う書き込みでアンチの評判を徐々に落としていった。アンチの勢いが衰えることは時間の問題に思えた。 たいていのアンチの書き込みは、事実誤認か嫉妬による中傷で占められており、英代が真に受けることはない。が、なかでもひときわ気になるアンチの書き込みがあった。 それは、JUNくんの顔がアップになったキャプチャー画像のみを、文章を付けずに何度も貼っていくレス(スレッドへの返信)だった。 テレビの映像から、奇跡のタイミングで撮られたキャプチャー画像は、20代前半であるJUNくんの顔が40歳以上のおじさんにしか見えないというものだ。 貼るタイミングといい、この画像のアンチは、かなりの手練に見えた。女性ファンの心を乱すにはあまりある攻撃といえる。まさに画像の爆弾であった。 「ちくしょうっ……!」 悔しくて仕方ない。 さんざん貼られた画像に「おっさんやんけ!」などといった、にわかまる出しのレスが付こうものなら、頭のなかが煮えたぎりそうな思いだった。 しかし、画像に過剰反応してしまえば、ファンがアンチスレッドにいることがばれてしまう。今は耐えるしかなかった。 うっかりレスをしてしまえば、<62>のようになる。 62:名無しのアンチさん ID:????? コラ貼るなバカアンチ!!!! >>62 経血が出たぞー! >>62 くっさ!! 経血やんけ!!! >>62 ヒステリック経血まーん(笑) >>62 経血カエレ! >>62 ドロっと出たな 英代は、悔しさのあまりつぶやいた。 「経血から生まれたくせに……」 〈経血〉とは、アンチが用いるKEY’Zファンの呼び名だった。KEY’Zと経血をかけているようだが、特に面白くもない。それ以前に品がないにも程がある。ここは言葉の無法地帯であった。 「みんな、今は耐えて……」 アンチスレッドには、英代のようなアンチに成りすましたファン以外にも、純粋なファンが迷い込むこともある。 <朕>も、そのひとりだ。 なぜ「朕」と呼ばれているかというと、自分のことを自分で「朕」というからだ。 今日も朕が現れた。 99:名無しのアンチさん ID????? KEY’Zは今や海外でも大変な人気です。 朕のまわりもKEY’Zが好きな人ばかりです。 アンチスレのみなさんも中傷するだけではなく、 素直によい所を認めたらどうでしょう。 朕の書き込みに対し、獲物に群がる獣のようにアンチのレスがついていった。 >>99 朕きたー!!! >>99 コテつけろって言ったろクソ朕!! >>99 今からここは朕と遊ぶスレッドになりました >>99 朕、お手!w >>99 朕ならチンチンだろ 「また朕か……」 英代は思わずため息をついた。 今や、朕はアンチにとって格好の遊び相手になっていた。一人称が「朕」なことからして面白すぎた。しかし、たとえ本物のファンでも、擁護のスレをわざわざアンチスレッドに投稿するのは都合が悪い。火に燃料を足すようなものだった。 朕の登場によって、アンチスレッドの勢いはぐんぐんと上がり、全掲示板中でもトップの勢いにまで昇り詰めてしまった。アンチの勢いを失わせることが目的の英代にとっては不本意なことだった。 そのあとも英代は、朕には触れないように書き込みを続けた。が、スレッド内での朕の人気はとどもまることがない。かえって、朕を無視し続ける英代の存在が浮いてしまっているような状況だ。 「まいったなぁ……」 ――ピンポンパーン 不意に、チャットのお誘いメールの音が鳴って英代はビクついた。 均からだ。 ボイスチャットをつなげると均の情けない声がした。 「英代ー。クエスト手伝ってくれー」 「了解だ」 英代は以前やっていたFPSゲームの影響で、ボイスチャットの際には軍人口調になクセがあった。 どうやら、均はオンラインゲームのクエストがクリアできないらしい。 英代はブラウザを閉じようとした。その時、朕の新しい書き込みを見つけた。 156:名無しのアンチさん ID????? 24さんへ グレミー賞とはアメリカでもっとも権威ある音楽賞です。 歴代の日本人受賞者は少なく、今回のKEY’Zの受賞は、まさに国をあげた快挙と言えます。 ネットで検索すれば、すぐにわかるようなことを丁寧に教える朕だった。どうやら、英代の書き込みに対するレスらしい。 朕の上品な口調(文体)も、はじめはふざけているようにしか思えなかった。しかし、近頃は、朕も英代と同じ、純粋なKEY’Zファンであることがわかってきた。 次第に、英代は朕に好意を持つようになっていた。 「朕、ムリしないでね……」 英代は、そうつぶやいてブラウザを閉じ、オンラインゲームを立ち上げた。 薄暗い楽屋で、KEY’Zのボーカル兼ギターのJUNは、倒れるように椅子に腰かけた。 「ふぅー……」 つきたくもないため息が出る。正面の鏡に映る顔は、薄暗いなかでも疲れを隠しきれない。 ベース担当のKAZが近づいていった。 「いやぁ、今日の客もノリノリだったな!」 となりに座る際、いつものように「どっこいしょぉ!」と、やたらオヤジくさい掛け声を発する。 「いつまで続けられるんだろうな……」 JUNは沈んだ声でいった。 KAZは陽気のこたえる。 「この仕事か? そらぁ、俺たちのがんばり次第だろ。今はファン層も広がってきたし、これからさ」 「いや、そうじゃなくて……」 「なんだよ。疲れてしんどくなったか? 俺たちも、もう歳だからなぁ」 「お、おい!!」 慌てて周囲を見渡すJUNに、KAZは落ち着いたようすでいった。 「大丈夫だって! いつものように、楽屋には近い関係者以外、入れないようになってんだから! そのためにわざわざ照明まで暗くしてもらってんだろ?」 「あ、そうか……」 「ふぃー……」と、息を吐いて、KAZはこめかみから長髪のウィッグを外した。「まだまだ暑くてたまらねぇや……」 落ち武者のような毛のない頭頂部があらわれた。 いい加減、「スキンヘッドにしろ」と、いつもいうのだが、いっこうに聞く耳をもたない。若いときに長髪だったころの思いを、いまだに捨てきれずにいるのだろうか。 JUNもショートのウィッグを外した。短く刈り込まれた白髪交じりの頭部が鏡に映る。忙しさのせいか、また白髪が増えたようだ。目にかかるほど長い前髪がなくなると、油汗で汚れた額には深いしわがあらわれた。 「まあ、疲れるのもムリないさ。俺たちも、もう40代だからな」毛のない頭頂部にしきりに手を当てながらKAZはいった。「でも、やっと掴んだ成功だろ。俺はもっとやっていきたいよ」 「いや、そうじゃなくてさ……」JUNはいった。「いつまでごまかしていけるかってことだよ。歳のこと……」 「ああ……」 KEY’Zのメンバーは、年齢を、JUNが20代前半、KAZが20代後半、ドラムのダイが30代前半として公表していた。それぞれが20歳ほど年齢をごまかしている。 「ネットでも、俺たちのことに気づいていそうなやつらが騒ぎはじめてるんだ……」 沈んでいうJUNに、KAZは達観したようにいった。 「……心配したってしょうがねぇよ。人気が出るほどアンチだって増えるんだ。俺は、バイト先とスタジオを行ったり来たりするだけの生活に比べれば、今のほうが何百倍も充実しているよ」 「そう、だな……」 「それにビジュアル系バンドなんて、いつまでも続くもんじゃない。そういうのずっと見てきたろ? 仕方ないことなんだ。悲しいけどKEY’Zだって、今のうちさ……」 「今のうち、か……」 「だから、俺は、今この瞬間にすべてをつぎ込みてえんだ。雑音にかまってる暇なんてないのさ」 「お前らしいよ……」 「だろ!?」 KAZは照れ隠しするようにおどけていった。 「バンドがダメになっても、お前は作詞作曲ができるじゃねぇか。うまくいけばプロデューサーにだってなれる。それに比べて、俺は……」 KAZは寂しげに遠くを見つめた。「俺なんて、本当にベースしかないからさ。どっかのスタジオにでも潜り込めればいいけど……」 「な、何いってんだよ!!」JUNは思わず声をあげた。「お前のベーステクニックは本物だ! 近くで見てきた俺にはわかってる! 自信もってくれよ!!」 「サンキュな……」KAZは続けた。「――ところで聞いたか? ダイさん、来月、初孫ができるってよ」 「ああ、聞いてる……」 ダイは、バンドのリーダーでドラムを担当している。無口な巨漢キャラという設定だが、それは単に、しゃべるとJUNたちよりも、ひと回り上の歳がばれるから口をきかないだけだった。 「60になったら年金で暮らしていけるように計画してるっていうぜ。まったく、あの人はしっかりしてるよ」 「ダイさんはアマチュアのころから、きちんと家族を養ってたからな……」 (結婚か……) JUNは思った。 いつか成功を収めたら……、なんて考えてもいたが、今になると、それも夢のようだ。 若い子のファンは増えたが、彼女たちが追っているのはKEY’ZのJUNだ。41歳の増田寿里庵ではない。 そんなふうに考えても、ファンをだましている罪悪感は拭い切れなかった。 JUNのとなりには、ファンからのプレゼントが山のように積まれていた。JUNは、そのなかから、フェルトでできた人形を拾い上げた。透明なセロファンで丁寧に包んである。 「<JUNくん>へ、か……」 同封しているメッセージカードによると、人形は女子中学生の手作りらしい。 JUNは、心でファンに呼びかけた。 (ごめんな。でも、どんな夢だって、いつかは必ず終わる。願わくば、いい夢であったと思えるように……) 人形を手にしたまま、祈りをささげるように目を閉じた。 突如、楽屋の外から大声がひびいた。 「アンコールお願いします!!」慌てた声はスタッフだった。 「おっと、やべえ」 KAZが何を思ったか、JUNのウィッグを手にとって頭にのせた。 ショートのウィッグと落ち武者ヘアーが合わさると、ちょうどロングヘアーに見える。JUNは思わず二度見した。 「お、おい!」 「うぉ!? す、すまん!!」間違いに気づいたKAZが慌ててウィッグをもどしていった。「まだまだボケるには早かったな」 「たのむぜ、相棒……」 ふたりは鏡の前で髪を整えると、アンコールを待つ客のために楽屋を出た。 財務大臣の下山孔明(こーめー)は、首相官邸の天守閣にある国王室の扉の前に立った。ドアノブに触れようとする指が震える。40年の政治人生で、こんなに緊張したことはない。 扉の向こうには日本――と、かつて呼ばれていたわが祖国、今はネコミミ☆ジャパン――の国王兼総理大臣であるネコミミ女王がいた。 日本だけではない。今や女王は世界を、宇宙さえも征しようとしている。 下山は、乾いたのどからかすれた声を絞り出した。 「財務大臣の下山です。失礼します」 扉を開けると女王の側近中の側近であるネコミミ家臣が出迎えた。 「下山大臣、よくお越しくださいました」 洋風の室内は、それほどの広さではない。が、小物にいたるまで調度品には贅の限りを尽くしていることがわかる。 女王は、豪奢な執務机の椅子に身を埋めていた。机には向かわず、脚を組んで横を向いている。その先には壁にかけられたダーツの的がある。手には、おそらく銀製だろう、赤い羽根のついたダーツの矢を持っていた。革布で丹念に磨いている。こちらを一瞥もしない。自分から呼んだ来客があったというのに少しも動じるところがなかった。宇宙を統べるものの目には、自分は、どんな小さな虫のようなものとして映るのか。 「さあ、こちらへおかけください」 家臣の物腰は丁寧だ。 ちまたでは、目的のためなら手段を選ばない冷徹な策略家とされている。一見すると、そのようには見えない。が、その目には底知れぬ光がある。 下山は、来客用のソファーに座ると切り出した。 「1年後の消費税増税に関する大事なご相談があると聞いてうかがいました」 向かいのソファーに座った家臣がこたえた。 「まずは下山大臣に、9月に消費税率を50%から80%に引き上げたことによる影響について、率直なご意見をうかがいたい」 下山はうつむいた。 「はっ……。GDPの5000%にも及ぶ国債比の圧縮は喫緊の課題です。しかし、国民生活や経済への影響は大きく、景気減速などの問題が、これから表面化するのは間違いないと予想されます……」 下山は、話しながら額から汗がふき出すのを感じた。ハンカチを取り出し、ゆっくりと汗を押し拭いて自分のペースを取り戻そうとした。 家臣は微笑していった。 「そのよう固くならないでください。われらは同じ内閣の一員。下山大臣には、これからも財政再建のために尽力していただきたい――と、女王さまは常々、申されております」 女王の内閣は財政再建のために大胆な増税に踏み切った。ネコミミ族だけで構成される与党で、日本人の下山が財務大臣に据えられたのも、増税への不満を外へそらす狙いがあった。 もちろん、財政の健全化は下山にとってもライフワークだ。とはいえ、1年後には、さらに80%から100%にまで引き上げられる消費増税に、国民からは大変な不満と戸惑いがあるのも事実だった。 数ヶ月ぶりに地元の母に電話した際も、話題は消費増税のことに集中した。 妻のいない下山は、家族といえるのは郷里の母ぐらいだった。旧家をひとりで守る、気丈な母だった。弱音を吐いたところを見たことがない。その母が、急激な増税に不安をもらした。 消費税率が30%上がったことで、市場の食料品価格は1.5倍以上にもなっている。困窮者対策としてネコミミフードなる非常食が配られたが、それとて新しいことに疎い老人には意味がない。 家臣はいった。 「そこで、女王さまの御計らいにより、1年後に税率を100%まで引き上げる際に軽減税率を導入するはこびとなりました。ついては、その対象品目についてご相談したいのです」 下山は顔を上げた。 「軽減税率ですか。よいお考えです」 女王が、磨きぬいた銀の矢を怪しい目つきで見つめながら、ようやく口を開いた。 「対象の品目について、国会にはかる前にあらかた決めておきたいのだ……」 「食料品であれば、主食なら米や小麦、調味料なら味噌やしょうゆなど。生鮮食品では肉や魚、野菜などを品目としてあげてください。よいお考えはお持ちですか?」 家臣の問いに、光明を見た思いで下山はこたえた。 「あります。隣国などを参考にし、さっそく品目を選別しましょう」 「ならば、その品目を――女王さまのダーツの矢が、的に当たる前までに答えていただきたい。数はいくつでもかまいません」 「えっ……!?」 見れば、女王が、壁にかかるダーツの的に向かって矢をかまえている。 女王は迷いなく腕をふった。瞬きする間に矢が走る。 矢は、的の外枠にはじかれ、床に転がった。 家臣はいった。 「残念ですが、軽減税率についての話はなかったことに……」 「な、なんですって!」下山は思わず声をあげた。「こんな大事なことを、そのような短時間に……!!」 家臣は表情を崩さない。まばたきさえ計算されているかのような目つき。やはり、底知れない人物だった。 「仕方ありません。品目をあげられなかったのは、下山大臣、あなたなのですから」 「無茶なことをっ……!!」 「かまわん」 女王がいった。まるで目の前の言い争いなどに興味がないような口調だった。「的を外れたからな。もう1度チャンスをやろう」 女王は、飾り彫りの施された木箱から、輝くダーツの矢を取り出した。 狙いをつけながら、ゆっくりと腕を引いた。 細い指を矢が指からはなれた瞬間―― 下山のなかで時が止まった。 老いた母が、地元の支援者が、目の前にいるかのように脳裏に浮かぶ。日本国民1億人の顔までもが、すべて見える気がした。愛らしい幼子もいる。笑顔じわの深く刻まれた老人もいる。両陛下のご尊顔もあった。 永遠に思える刹那のなか、下山は思った。 ――この1億の人々を守るのはだれか。だれが守るのか。 「っ……!!」 次に気づいたとき、すべてが終わっていた。 家臣は、携帯端末から伸びるイヤホンを外した。感嘆の混じる声でいった。 「さすがです。下山大臣……」 女王はダーツの矢を持ち、的に向かっている。口元には笑みを浮かべていた。 「次の国会では、下山の案を中心にはかる。もうよいぞ。ご苦労だったな」 スッと音もなく女王が腕をふった。ダーツの矢は、すでに的の中心に立つ矢と重なるように突き刺さった。 携帯端末に録音された音声をスロー再生すると、たしかに下山は、軽減税率の対象品目として、米、小麦、野菜、肉、魚、塩、味噌、乳(これは乳製品と認められた)、新聞、書籍をあげていた。 この時の話し合いで、1年後に適用される軽減税率の品目はほぼ決定した。 女王は、先ほどとは打って変わり、鋭い目つきでダーツの的をにらんでいた。 矢をかまえる。 「いまいましい……」 ダーツの的には山本英代の顔写真が刺しとめられていた。 矢を投げた。 ――タンッ! 矢は、英代の顔の中心に突き刺さった。 「女王さま。やはり、ここは批判を恐れず、山本英代の本拠地である坂之上市に軍を派遣し、一気呵成に決着をつけるべきかと……」 「……」 女王は黙って木箱から新たな矢を取り出した。 家臣はつづけた。 「……坂之上市には、反政府主義者が集まりつつあるという噂もございます」 「考えたが……。やはり、世論が気になる」 女王は矢の狙いをつけながらいった。「ネコミミ☆ジャパン政府に反感を持つ道府県が、独立を企てているという情報がある」 「はい。先日も〈大阪民国構想〉なる独立計画を企てた扇動家を逮捕いたしました。今後もこのような反乱分子が続くことは予想されます」 「そうだ……」 いいながら、女王はダーツの狙いに集中している。 家臣はあえていった。 「しかし、手をこまねいていれば、ポチさまのお気持ちが変わることも……!」 女王はダーツの矢を放った。 矢は、大きくそれて壁に当たった。 「チィッ!!」 女王は的をにらんだ。 「……申し訳ございません」 家臣はじゅうたんに落ちた矢を見た。 女王は、木箱から再び矢を取り出していった。 「軍を動かせぬ以上、前回のように部外者の力を借りるつもりだ」 「任すに足る者がおりますでしょうか。前回は山本英代の親友をだまして利用することができましたが……」 女王は矢をかまえ、片目で狙いを付けた。 「シャーロット」 「シャーロット?」 「シャーロット・ミケ・ショーコリー。以前、私の側で働いていたこともある」 「なんと……! あのいわくつきを……」 「今は軍属をはなれ、賞金稼ぎまがいの仕事を受けている。その筋の評判はいい」 「反対です!」家臣は、耳を跳ね上げて声をあげた。「あの同胞殺しを用いるなど……」 「裁判の結果は問題なかった」 家臣は訴えた。 「私は裁判記録まで目を通しました。当初の供述をくつがえし、無罪にはなりましたが、軍検察の起訴は当然といえるものでした。いかに今は部外者とはいえ……」 「すでに依頼はしてある」 女王はダーツの矢を投げた。矢は、的の中心からそれて横に当たった。「やつも動いているはずだ」 「……」家臣は不安げな表情で黙った。 女王はいった。 「山本英代とシロネコを真正面から打ち倒すには、やつほどの手練(てだれ)をもってするほかない。試す価値はある」 「そこまでおっしゃられるのであれば……」 「何かあればお前にもフォローに動いてもらう」 「もちろんです……!」 女王はダーツの矢を放った。矢は英代の顔写真の右目に命中した。 さらに矢を放つ。と、矢は英代の左目に当たった。 両目に刺さった矢のせいで、英代の目が飛び出しているように見えた。 女王は不意に家臣のほうを向いた。 家臣は顔をそむけた。失礼であるとわかりながら、女王に背を向けた。 シャーロット・ミケ・ショーコリーは夢を見ていた。子どものころの夢だ。 弟と、すぐ下の妹、幼い3人の妹たち。みんなで輪になって遊ぶ。ネコミミ族に古くから伝わる遊びだった。 夢のなかは光に包まれている。 「シャロねえちゃん!」 弟が甘えてきた。今は、もういない弟だった。 しかし、夢のなかでは触れることもできる。感触もあった。 シャーロットは手を伸ばした。ほほの柔らかさが指先から伝わった。 弟は、はにかむようにして笑った。 シャーロットは目を覚ました。 宇宙を航行する船のなかにいた。シートの上で眠っていたようだ。 まわりを囲むモニターには、真空の闇がどこまでも広がっていた。 体を起こす、と ――ガン! 「イッてっ!!」 コックピットまで張り出している機器に、勢いよく頭をぶつけた。 高い買い物だったが、性能のいい自分の船は気に入っている。しかし、居住性の悪さはいただけない。 「こいつ! 主人に逆らうのか!!」 ぶつかった場所に、こぶしを叩きつけた。すでにいくつかのへこみがある。 顔を拭いた。ふいに「ポーン」と電子音がなった。自動航行システムが目的地に近づいたことを知らせた。 シャーロットは背もたれを起こし、シートに座りなおした。 タッチパネル式のコンソールを操作し、アプリを立ち上げる。 アプリ〈ネコミミアース〉は、王国軍が管理する監視衛星によって、地球のようすを24時間、リアルタイムで見ることができる。 最大倍率で対象の人物を探しだす。先日、女王から連れてくるようにと、依頼を受けていた。 人物を特定した。近くの監視カメラを利用して顔を確認する。 対象の人物が建物に入る直前。その横顔を見て、シャーロットは思わず息を呑んだ。 弟の顔がまばたくように脳裏に浮かんだ。 「まさか、な……」 シャーロットは、息を吐き出すとシートから立ち上がった。 その日は何もない日曜日だった。 均は、買い物を済まして大型スーパーから出た。 右腕には買い物袋。母親に頼まれた買い物だ。右手にはソフトクリーム。出口付近で売っていて、おいしそうでつい買ってしまったものだ。 左手にはスマホ、左脇には紙袋をはさんでいた。なかにはKEY’Sの新譜CDが2枚、英代に頼まれた分と自分の分が入っていた。 スマホで電車の時間を見ようとしたら、友達からのおもしろメッセージが入っていた。それを夢中になって読んでいるうちに、うっかり道路の段差で足を踏み外してしまった。 それだけならよかったが、均は、何か大きくて柔らかいものにぶつかった。 大学生ぐらいの男だった。でかい。普通の人より、横にも縦にも、ひと回り大きい。男のTシャツには真っ白なマークがあった。均がつけたソフトクリームだ。 「てんめぇ……!!」 男は高いところから均をにらんだ。 「……ぁ……ぁ……ぁ」 あやまろうとしても声が出ない。恐ろしさのあまり立っているのもやっとの思いだ。 「お前っ! 鋼田くんになんてことを……!!」 大男のとなりにいた小男がいった。 小男が均につかみかかろうとしたとき、鋼田と呼ばれた男がそれを制した。 鋼田は均に向かっていった。 「おい! おれの一張羅をよくも汚してくれたな。こいつが古着屋でいくらするか、わかってんのか!!」 「ごごご……ごごご……ごごご……」 声が出ない。 「……まあ、いい。ちょっと付き合ってもらうぜ」 大男の鋼田は、丸太のように太いうでを均の首にまわした。獣臭さが鼻についた。 「ななな……ななな……なんで……」 均は全身が震えだした。心臓がいやな鼓動を打った。 鋼田は、小男に向かっていった。 「わりいな、滑川。今日はここで解散だ」 滑川と呼ばれた男がこたえた。 「鋼田くん……。よかったね、気に入ったパートナーが見つかって……」 滑川は、なぜか感無量といった面持ちでいった。「杉田くんと別れてから、すっかり元気がないようで心配だったんだよ……」 「滑川……。心の友よ……」鋼田はなぜか目を潤ませていった。「ち、ちくしょう! お、お前が心配することじゃないっつーの!!」 鋼田は目の端を手の甲で拭った。均をぐいっと引き寄せた。 「よし! じゃあ、どこに行く? 映画館か? カラオケボックスか? ちょっと早いが食事がいいか?」 「え? え? え?」 均は何が起きているのかわからない。が、全身の細胞が逃げ出せといっていることだけはわかる。 滑川が笑顔でいった。「ゆっくり楽しんできてよ……!」 鋼田は、均の首を引っ張りながらいった。「さあ、行こうぜ! 新しい友よ!!」 「だ……だれか……!」 もはや、恐ろしさのあまり、目の焦点も定まらない。まわりのだれに助けを求めればいいかもわからなかった。 ふいに、背後から声をかけられた。 「困っているんじゃないか?」 振り向くと小柄な人影がある。ネコミミ族の女だ。 シャーロットは、均を連れていこうとする鋼田に声をかけた。 鋼田は振り返るなり、赤鬼のような顔になっていった。 「なんだぁ? てめぇ……!」 「その男の子がいやがっているように見えたんだが」 鋼田は声を荒げて言い返した。 「いやがってなんかいねぇよ! なあ!?」 鋼田の問いに、均は震える声でいった。 「たたた……たすけて……」 「ほら?」 シャーロットは、肩をすくめた。 鋼田は、いよいよ怒っていった。 「テメェに関係あるか! さっさと行け、ネコミミ野郎! 行かないとぶん殴るぞ!!」 均は必死に目で助けを求める。 シャーロットは頭のミミの裏をかいた。 滑川が口をはさんだ。 「お前! ネコミミ族のくせに生意気だぞ! 鋼田くん、こんなやつ、やっつけちゃってよ!!」 「おうよ!!」 鋼田は、均をはなすとシャーロットの前に立ちふさがった。見下ろしながらいった。 「お前らネコミミどものせいで、俺たちの仲間が、どれだけ肩身のせまい思いをしているか……! わかってんのか!!」 シャーロットはいった。 「私はこの星に住んでいるネコミミじゃないよ」 「うるせぇ! 関係あるもんか! ネコミミ族のくせに!!」 「差別は感心しないな」 「覚悟しやがれ……!!」 鋼田が腕をふりあげた。 うなるように大きなこぶしがシャーロットにせまる。 が、こぶしはシャーロットの前を通り過ぎ、横にいた滑川の顔面に当たった。 「ギャッ!!」 叫んで派手に転ぶ滑川。 「もう容赦しねぇぞ! ネコミミ野郎!!」 鋼田は、滑川に馬乗りになって、さらに殴りつけた。 「何するんだよ! ネコミミはあっちだよ!!」 滑川は鼻血を出して抗議したが、鋼田は耳をかさなかった。 「うるせぇっ!!」 ざわざわとまわに人が集まってきた。 シャーロットは、均の手を引いて喧騒からはなれた。 |